50個以上の春休み関連のGreasemonkeyまとめ
すべてが春休みになる
僕のセルフイメージに大革命が起きた事件・・・
というか
大事な出逢いがありました。
僕は小学3年生になっていた。
夏休みを前にして
僕と母親は憂鬱モードでした。
僕は夏休みも冬休みも春休みも
好きではない少年だったのです。
中でも
夏休みが特に嫌いだった。
だって
長期間学校の無い夏休みに
僕は決まって
ひとりぼっちになってしまっていたから。
東京生まれで
東京育ちで
おまけに一人っ子だった僕は
つまり田舎の無い僕は
40日もある夏休みを
地元にひとり取り残されてしまう。
じりじりとした暑さが生み出す蜃気楼が
そのまま果てしなく広がる砂漠のようで
それぞれの田舎に帰省してしまって
友だちのいなくなった渋谷の街で
僕はひとり途方にくれてしまっていた。
勉強はもちろん好きではなかったけど
友だちと遊ぶことのできる学校が大好きだった。
その学校が40日も休みになってしまうのだ。
僕がパニックと憂鬱になってしまうのも当然だと思う。
もちろん
そんな友だちも40日丸々田舎に帰ってしまうわけではない。
東京にいるときだってある。
でも、
たいていは両親に連れられて
遊園地だの水族館だの海だのに
連れて行ってもらえる。
しかし
僕の家はそういう
「だの」が一切無かったのだ。
いつもながら
僕は別にそのことを恨んだことはない。
(うちはそういうことしない家なんだな)
と、理由はわからなかったけど
僕は自分を納得させて
そういう現実をわりと自然に受け入れていた。
だからと云って
退屈な毎日はあいかわらず退屈のままで
息苦しい夏の空気だけが
ひとりぼっちの僕を取り巻いていて
夏休みのたびに僕は酸欠になりかけていた。
僕は少しでも退屈を紛らわそうと
ひとり自転車で商店街を疾走したり
代々木公園の芝生を転げまわったり
知った顔のいない校庭をのぞいたり
プールに行って溺れそうになったりしながら
ひとりぼっちの夏休みを活かして
「ひとり遊び」の達人になりつつあった。
・・・と、
ここまでは通常の夏休みの憂鬱。
ところが、
小学3年生の夏休みは
退屈を紛らわす工夫すらできない
さらに最悪な憂鬱に陥ったのです
夏休みに入ってすぐ
僕はおたふく風邪にかかってしまったのでした。
おたふく風邪は伝染する。
つまり他の子どもたちと接触しないよう
完治するまでは外出禁止となる。
医者からの残酷な告知。
外出禁止期間はなんと30日。
夏休みと完全にかぶっているではないか
「ちょうど夏休みで良かったねぇ」
と、医者は無責任なことを笑顔で云った。
大きなため息をついて母親は診察室を出た。
僕ら親子はおたふく風邪による
夏休みだからこその
究極の憂鬱を抱えることになってしまった。
狭いアパートの中で
エネルギーをもてあます僕に
「外で遊んでおいで」とも云えずに
30日間を一緒に過ごさなければならない。
これからの長い日数を考えて
母親はそうとうブルーになっていたと思う。
病院からの帰り道
母親はいつもよりもさらに怖い顔をして
まっすぐ前を向いて歩いていた。
僕はそんな母親を少し後ろから眺めながら
熱のあるぼんやりとした感覚で後にしたがった。
僕ら親子は夏休みに入ってから一週間で
すでにギブアップ状態になっていた。
「もういい。公園でもプールでも、どこでも行っておいで! 」
と、本音では云いたかったことだろう。
でも、
親としての責任と、ちょっとの良心で
母親はなんとかそのセリフを呑みこんでいた。
絵を描いたり
超合金ロボットやドイツ兵のプラモデルで遊ぶのも
そろそろ限界に来ていた。
僕は公園で誰かと走り回ったり
探検したり
プールで泳ぎたくて
残り少ない酸素にあえいでいた。
この状態があと数日続いたら
全身に原因不明のじんましんが出てしまうこと間違いなしだ。
そんなとき、
僕を呼ぶ天使の声が窓の下から聞こえてきた。
「いしーいくん、あっ・そび・ま・しょ!」
母親の目がキランと光った気がした。
その2に続く・・・
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とどくといいな 春休み
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