懺悔 なんだ、みんな人間のせいじゃないか。
第681話
こんばんは
神仏の声を聞いて
お言葉をお届けしています
菊水千鳳です
〈はこちら〉
今日の夕方
仕事が終わって、久しぶりにスポーツジムで筋トレしようと向かいました。
ラウンジに到着して座った瞬間、
『あ!』と画面に釘付けになりました。
音声は聞こえないけど
大きな画面でニュース番組が放送されていました。
ちょうど生中継で
ローマ教皇が諸宗教の代表者たちと握手しようとしているところでした。
すると、
ラウンジに
な、何と!
イエスキリストが現れました。
全体的に薄ーい黄色みがかった色の衣をまとっていました。
キリスト
【 ワタシは誰をも愛す
本来ならそうあるべきであったのだが
(教皇をみて) すべては一つであることをお分かりいだけたであろうか?
(世界の) 宗教の欠片(かけら)
ひとつひとつがパズルのように組み合われていけばよいのだ
時代を制することとは
世界の宗教を制することに等しい
数ある宗教で
教義を越えて一つにまとまり行くこと
すなわち心を一つに心がけていくならば
世界は一つに溶け込んでいくであろう
様々な困難が立ちはだかる今
こうした時代を生きる(天界の)我らも時代の行く末を案じている
この機会に
教皇来日を通じて
また新たな出発点となることを願う
この波が世界の主流となることを期待している
ワタシが生きた時代から数えれば
遥か未来である今
ワタシの望んでいた真の未来を垣間見ているようだ】
と。
キリストのメッセージは終わりました。
TVはここで、残念ながら別の番組が放送されてしまいました。
キリストが現れたとき、
隣に白っぽいグレーのフードを被ったマリアさまが
一心にお祈りをしていました。
教皇が諸宗教の代表の方々と握手を交わし、言葉を交わしているとき
同時にマリア様は
俺の前で、キリストの横で
祈りを捧げていたのでした。
マリア様の祈りは
これまでのキリスト教が他宗教を弾圧し、迫害してきた歴史、また
迫害されてきた歴史
それらを止めることができなかったことに対するお詫びと懺悔でした。
マリア様
【時代の流れにより
(自分達の本来の) 行く手を掴めなかった
阻まれてしまった多くの方々のご冥福を祈ります
私たちの信者たちの
これまでの歩みをお赦しください
歴史に名を残すには
争うことも認めました
しかし今 もはや なにびととも争うことは
決して望みません
世界へ望むには
私たち(キリスト教)の方から
世界へと手を伸ばさねばなりません
争う恐れを解き
世界のあらゆる宗教を認め
支持し
尊ぶことを誓います】
キリストとマリア様は
それだけを言い残し、
スーっと消えていきました。
どうやら、初めから争うことを拒否しなかったような印象でした。
歴史のなかにしっかりと
キリスト教を確立するには、
争いもまたあっても仕方なかったのかもしれません。
日本で言えば、天津神と国津神との間の覇権争いにも似てなくもないです。
自らの権威、地位を獲得するには、ある程度の争いは付き物なのかもしれません。
しかし、流れは和合、すなわち本来の姿に戻るべき時が来たのだと思えてなりません。
ローマ教皇が滞在している間、しばらくの間 意識してみたいと思います。
※追記)
昨夜、日記投稿時に「ローマ法王」とお届けしましたが、「ローマ教皇」の誤りでした。訂正しました。
11/25 7:10
オススメの過去日記はこちら
↓
⭐
懺悔マニアのコレクション
私はあの日から一週間くらいの時だったと思いますが
自分に責任を感じて一人車でさ迷ってました。
もうどこを走ってるのか何がしたいのか居場所などなくコンビニで買ったジョージアを持つ手は振るえ
なんがなんだか分からない時にふと目にしたのがプロテスタント教会でした。
私は浄土宗です。でもテレビや映画で自分を懺悔するシーンなど思い出してそこにいきなり行きました。
そしたら牧師さんが教会へ入れてくれました。牧師さんはどうされたのですか?と私に聞きました。
私は言いました。実は自分自身を懺悔したいと言いました。 牧師さんは言いました。
ここにはそのようなところはありません。 プロテスタントにはそう言うのはありません。
そして牧師さんは で。。。 なぜ懺悔したいのですか?と言いました。
私は事情を話しました。そしたら部屋に入れてくれて何時間も話を聞いてくれました。
もちろんお金などとりません。お茶とおかしをだしてくれました。
牧師さんは宗教的な話はいっさいしないで人間として聞いてくれた感じでした。
そして牧師さんは言いました。 「実は私もあまり言わないのですが昔 中学生だった兄が自殺しました。
理由はよく分からないんです。 何かちょっと悪い事をして父が叱ったらそのまま外に出て山のようなところでやってました。
そして私がしばらくして浄土宗にも関わらずプロテスタントに入ると聞いた父は 兄の事があったから
そうしたいのかと聞いてきたけど牧師さんは違う自分の意思で入る」と言ったそうです。
私もまだ一週間くらいしかたっていませんでしたが同じ遺族に偶然会ったのです。
そして思いました。 やはり牧師さんの兄に関しても分からないのか! こんな感じが実際の自殺なんだと思いました。
そして牧師さんは私に祈ってくれました。 それから一週間に一度くらい教会に行くようになりました。
私はプロテスタントではないけど牧師さんは気にしなくていいと言うのでパイプ オルガンや賛美歌に癒されました。
もちろん歌の意味などわかりませんでしたが仏壇とかお寺とかそんな場所よりなぜか私は落ち着きました。
でもある時その教会は多分ですが資金不足かなにかでなくなってしまいましたが今もあの牧師さんには感謝しています。
そこで牧師さんに習ったのは。。。。。神は
乗り越えられる者に限り試練を与えると言う言葉は誤解されている事を教えてもらいました。
辛い時 悲しい時には逃げ道を探しなさいと言う意味もふくまれた言葉みたいです。
語源は日本語ではないので何か少し解釈がおかしくとられてるようです。
どうしようもないときは心の逃げ場を探して逃げていいんだと教えてくれました。
牧師さんも遺族なので他人事ではないので私の心をだいぶ逃がしてくれました。
わすれません。
懺悔についての6個の注意点
第681話
こんばんは
神仏の声を聞いて
お言葉をお届けしています
菊水千鳳です
〈はこちら〉
今日の夕方
仕事が終わって、久しぶりにスポーツジムで筋トレしようと向かいました。
ラウンジに到着して座った瞬間、
『あ!』と画面に釘付けになりました。
音声は聞こえないけど
大きな画面でニュース番組が放送されていました。
ちょうど生中継で
ローマ教皇が諸宗教の代表者たちと握手しようとしているところでした。
すると、
ラウンジに
な、何と!
イエスキリストが現れました。
全体的に薄ーい黄色みがかった色の衣をまとっていました。
キリスト
【 ワタシは誰をも愛す
本来ならそうあるべきであったのだが
(教皇をみて) すべては一つであることをお分かりいだけたであろうか?
(世界の) 宗教の欠片(かけら)
ひとつひとつがパズルのように組み合われていけばよいのだ
時代を制することとは
世界の宗教を制することに等しい
数ある宗教で
教義を越えて一つにまとまり行くこと
すなわち心を一つに心がけていくならば
世界は一つに溶け込んでいくであろう
様々な困難が立ちはだかる今
こうした時代を生きる(天界の)我らも時代の行く末を案じている
この機会に
教皇来日を通じて
また新たな出発点となることを願う
この波が世界の主流となることを期待している
ワタシが生きた時代から数えれば
遥か未来である今
ワタシの望んでいた真の未来を垣間見ているようだ】
と。
キリストのメッセージは終わりました。
TVはここで、残念ながら別の番組が放送されてしまいました。
キリストが現れたとき、
隣に白っぽいグレーのフードを被ったマリアさまが
一心にお祈りをしていました。
教皇が諸宗教の代表の方々と握手を交わし、言葉を交わしているとき
同時にマリア様は
俺の前で、キリストの横で
祈りを捧げていたのでした。
マリア様の祈りは
これまでのキリスト教が他宗教を弾圧し、迫害してきた歴史、また
迫害されてきた歴史
それらを止めることができなかったことに対するお詫びと懺悔でした。
マリア様
【時代の流れにより
(自分達の本来の) 行く手を掴めなかった
阻まれてしまった多くの方々のご冥福を祈ります
私たちの信者たちの
これまでの歩みをお赦しください
歴史に名を残すには
争うことも認めました
しかし今 もはや なにびととも争うことは
決して望みません
世界へ望むには
私たち(キリスト教)の方から
世界へと手を伸ばさねばなりません
争う恐れを解き
世界のあらゆる宗教を認め
支持し
尊ぶことを誓います】
キリストとマリア様は
それだけを言い残し、
スーっと消えていきました。
どうやら、初めから争うことを拒否しなかったような印象でした。
歴史のなかにしっかりと
キリスト教を確立するには、
争いもまたあっても仕方なかったのかもしれません。
日本で言えば、天津神と国津神との間の覇権争いにも似てなくもないです。
自らの権威、地位を獲得するには、ある程度の争いは付き物なのかもしれません。
しかし、流れは和合、すなわち本来の姿に戻るべき時が来たのだと思えてなりません。
ローマ教皇が滞在している間、しばらくの間 意識してみたいと思います。
※追記)
昨夜、日記投稿時に「ローマ法王」とお届けしましたが、「ローマ教皇」の誤りでした。訂正しました。
11/25 7:10
オススメの過去日記はこちら
↓
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懺悔 「ただ友」のワを広げよう
まいどっ!
大人ピアノ代表
ぴあのんです
発表会
って お金払って 出てんだよね〜
ギャラもらって 出てる人
いてないと思う
レッスンの一環
学校風に言うと
課外授業 社会見学じゃないでしょうか
そんなこちらが
お金払ってる場所で
なんで
失敗したとかいって
落ち込む必要
あるんすかね
失敗とか
思い通りに 弾けなかったことって
そんないけないこと
なんすかね
と ぴあのんは
過去の自分に 声をかける
ぴあのんは 発表会後は
懺悔の気持ちと 敗北感しか
なかったんだなぁ〜
責め続ける日々
今は 攻め続ける日々やけど
←ピアノ上達に向けて アレコレ
やっとります
自転車だって 転びながら
やっと 上手に乗れるんだよなぁ〜
計算だって 毎日間違って
やっと 暗算できるようになるんだよなぁ
恋愛だって フラレにフラレて
いい男に なっていくんだよなぁ
発表会って
失敗を重ねる会じゃないのか?
何も とても素敵な演奏をする方を
否定してる訳でもなく
最高のパフォーマンス目指して
舞台に立つ人は 大尊敬よん
イカレ脳 ぴあのんは
ある時期から
発表会は
いかに我をなくすか
に したんだ。
この考え方 おかしいからね
その人らしい演奏をなくすって
意味じゃなくて
あっ そんなこと 賢い読者さまは
おわかりでしたね。 すんません
これ うまく 説明できないけど。
なんていうのかなぁ
あんまり 自分がいると
色々 うまくいかないし
何より 緊張が増すような気がして
そして
うまくいかなかった事を
過剰に 感じてしまうような気がして
あと 自分をよく見せようとすると
ぴあのんの場合は
うまくいかんなっ
←プロは 違うと思うけど
←プロは 魅せてなんぼ 自己プロデュース大事みたい
ここは フォルテ!
盛り上げてって
いつもより 力入れすぎて
とんでもない音が 放たれてるもんな!
家で してる以上の事して
たいがい 外してるからな
なんか 今朝は こんな事を
書きたくなった
今日も 皆さんに
いっぱい いい事ありますように